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東京地方裁判所 平成9年(ワ)2098号 判決

原告

青木薫

右訴訟代理人弁護士

加地修

杉浦幸彦

被告

東永化成株式会社

右代表者代表取締役

高橋世志男

右訴訟代理人弁護士

豊田泰介

主文

一  被告は、原告に対し、金一七三八万八〇〇〇円を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

主文同旨

第二  事案の概要

一  本件は、被告の取締役であった原告が、被告に対し、株主総会決議により退職慰労金規定による退職慰労金請求権が発生したとして、退職慰労金請求権に基づき、又は被告の代表取締役らが取締役会において退職慰労金規定を無視した支給決議を行ったとして、退職慰労金規定による退職慰労金との差額について、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項及び民法七一五条に基づき、損害賠償を請求している事案である。

二  争いのない事実

1  原告は、昭和四九年五月から平成八年五月末日までの二二年余りの間、被告の取締役であった。なお、平成元年五月以後、原告は、専務取締役として経営に従事していた。

2  被告においては、「役員の報酬、賞与、退職慰労金に関する規定」(以下「本件規定」という)が、定められていた。本件規定においては、役員の退職慰労金は、退職時の月額報酬に、在任年数と出勤率を乗じて算定する旨が定められている。原告の退職時の月報酬は、九〇万四〇〇〇円であった。

3  平成八年五月二二日開催された被告の株主総会において、原告を含む退任役員の退職慰労金については、取締役会に一任する旨の決議がなされた。

4  平成八年五月二二日開催された被告の取締役会において、原告の退職慰労金を五〇〇万円とし、同年五月末日と同年七月末日に各二五〇万円宛支払う旨の決議(以下「本件支給決議」という)がなされた。

5  原告は、平成八年六月一〇日、退職慰労金の一部として二五〇万円を受領した。

三  被告の主張

1  平成八年三月二九日開催された被告の取締役会において、本件規定を次のように改正する旨の決議(以下「本件改正決議」という)がなされた。

役員の退職慰労金については、会社の業績が良いときは本件規定によるが、そうでないときは、本件規定の二分の一、四分の一、一時金支給のいずれかとする。

2  平成八年五月二二日開催された被告の株主総会において、原告を含む退任役員の退職慰労金について取締役会に一任する旨の決議がなされた趣旨は、本件改正決議による新たな基準に従って支給するということである。被告は、毎年三月決算であるが、平成六年三月決算から平成八年三月決算まで三期連続赤字の厳しい状況にある。そこで、被告の経営状況や原告の貢献度を考慮して、本件支給決議をしたのである。

3  仮に、原告が本件規定により算定された退職慰労金を請求できる立場にあり、本件支給決議が無効であるとしても、原告は、平成八年五月二四日、被告の森博敏経理部長(以下「森経理部長」という)らから、本件支給決議の内容について説明を受けてこれを承認し、右決議に基づく第一回目の二五〇万円の支払いを異議無く受領したのであるから、本件支給決議の内容を認め、残余の請求権については、これを放棄したものといえる。

四  原告の主張

1  平成八年五月二二日開催された被告の株主総会において、原告を含む退任役員の退職慰労金について取締役会に一任する旨の決議がなされた趣旨は、本件規定によって算定される退職慰労金を支給するということである。本件規定による退職慰労金は、算定方式が決まっており、取締役会においては、支払時期と方法を決議するだけであって、金額自体について裁量の余地はない。したがって、株主総会の右決議によって、原告は本件規定による退職慰労金請求権を取得したというべきである。なお、本件規定によって算定される原告の退職慰労金は、九〇万四〇〇〇円に在職年数の二二を乗じた一九八八万八〇〇〇円である。

2  仮に、株主総会の委任を受けた取締役会の決議がなければ、退職慰労金請求権が発生しないとすれば、退職慰労金請求権は五〇〇万円の限度でしか発生していないことになる。

しかし、被告の取締役らは、取締役会において、本件規定に従った退職慰労金支給決議をすべき義務があるところ、実際には、本件規定を無視した本件支給決議を行った。取締役らの右行為は、取締役としての任務を懈怠して、原告に対して直接の損害を与える行為であるから、不法行為となる。したがって、被告は、代表取締役又は取締役の不法行為により、五〇〇万円との差額である一四八八万八〇〇〇円について、損害賠償責任を免れない。

3  本件改正決議は不存在である。仮に、存在するとしても、当時の取締役である原告と武藤信義(以下「武藤」という)に対して招集通知がなされていないから、招集手続きに重大な瑕疵があり、無効である。

4  原告は、平成八年五月二四日、被告の森経理部長らから、本件支給決議の内容について説明を受けたが、これを承認したことはない。また、原告は、二五〇万円を一部として受領したにすぎず、本件支給決議の内容を認めたものではない。

五  本件の争点は、次のとおりである。

1  本件改正決議の有無

2  原告が本件支給決議の内容を追認したかどうか。

第三  争点に対する判断

一  本件改正決議の有無について判断する。

1  被告の取締役である証人中村博美は、「平成七年三月二九日の三、四日前に、市塚総務部長より取締役会招集の通知が口頭であり、平成七年三月二九日午後五時ころから、被告本社会議室において、取締役会が開催された。被告代表者から、間もなく退任する原告と武藤を念頭においた上、会社の業績が悪いので、役員の退職慰労金を引き下げたいとの話があり、本件改正決議がなされた。役員の内、原告と武藤は出席していなかったが、その理由は話題にならなかった。」旨証言し、被告代表者も「原告が欠席していることはわかったが、その理由は聞かなかった。」と供述している。そして、本件改正決議の議事録として、乙一号証が提出されている。

2  しかし、乙一号証は、取締役会議事録という表題もなく、開催日時及び場所も記載されていない等、乙三号証と対比しても、取締役会議事録としては明らかに不自然な書式になっている。また、証人森博敏の証言及び被告代表者本人尋問の結果によれば、平成八年五月二四日に、森経理部長が、原告と武藤に対して、本件支給決議の内容を説明した際に、本件支給決議の議事録は示したものの、本件改正決議については特に説明しておらず、平成八年五月三〇日ころ、被告代表者が原告に対して、本件支給決議をした理由を説明した際にも、本件改正決議については説明していないことが認められる。

仮に、本件改正決議によって新たな支給基準を定めたのであれば、原告に対してそれを説明するのが通常である。さらに、専務である原告が本件改正決議がなされた取締役会に出席しておらず、しかも被告代表者がその理由を総務部長らに聞かないことは、不自然である。

3  したがって、証人中村博美の右証言及び被告代表者の右供述は、これと反対趣旨の原告本人尋問の結果に照らして信用できず、乙一号証の内容も信用できない。よって、本件改正決議が存在したとは認められない。

二  原告が本件支給決議の内容を追認したかどうかについて判断する。

1  乙四号証、九号証の1、2、証人森博敏及び証人武藤の各証言、並びに原告本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

平成八年五月二四日、原告と武藤は、森経理部長から、本件支給決議の内容を説明された。なお、武藤の退職慰労金についても、原告と同じ金額が決議されている。原告としては、到底納得できなかったが、その場で森経理部長に説明を求めても無駄であると思い、特に異議を述べなかった。平成八年五月三〇日ころ、原告と武藤は、被告代表者に面会して説明を求め、被告代表者からは会社が赤字である等の説明があったが、原告は納得せず、物別れに終わった。退職慰労金の第一回目の支払日である平成八年五月三一日に、原告と武藤は、被告に赴き、武藤は森経理部長から二五〇万円を受領したが、原告は預かっておいてくれと言って、受領しなかった。原告が、その際に受領しなかったのは、本件支給決議の内容を認めたことになることを恐れ、武藤が署名する領収書の内容を確認したかったためである。武藤が署名した領収書には「上記の金額退職金として領収しました」と記載されており、退職金額が明記されていなかったので、原告は、受領しても大丈夫であると思い、平成八年六月一〇日に二五〇万円を受領したが、その際に特に異議は述べていない。退職慰労金の第二回目の支払日である平成八年七月三一日に、原告と武藤は、被告に赴き、武藤は、残額の二五〇万円を受領したが、原告は預かっておいてくれと言って受領しなかった。

2  右認定事実によれば、原告は、退職慰労金が五〇〇万円であることを承認する旨を表示したとはいえない。被告代表者は、原告は本件支給決議の内容に納得したと思った旨供述しているが、被告代表者の主観的な認識にすぎない。また、原告が二五〇万円を受領した点についても、一部の受領にすぎないから、退職慰労金が五〇〇万円であることを承認したことにはならない。

3  したがって、原告が本件支給決議の内容を追認したとは、認められない。

三 以上によれば、平成八年五月二二日当時、取締役の退職慰労金についての定めは本件規定以外にはなかったのであるから、右期日に開催された被告の株主総会において、原告の退職慰労金について取締役会に一任する旨の決議がなされた趣旨は、本件規定によって退職慰労金を支給する趣旨と認められる。本件規定によって、原告の退職慰労金を算定すると、出勤率が一〇〇パーセントでないことを窺わせる証拠はないから、九〇万四〇〇〇円に二二を乗じた一九八八万八〇〇〇円になる。

株主総会において取締役の退職慰労金を取締役会に一任する旨の決議がなされた場合、退職慰労金請求権は、その金額を決定する取締役会の決議があって、初めて発生するものであり、原告が主張するように、一定の基準が存在しても株主総会の決議だけで当然に発生するものではない。しかし、一定の支給基準が存在して、その基準に従って定める趣旨で株主総会において取締役会に一任する旨の決議がなされたにもかかわらず、取締役会においてそれに反する決議をした場合には、決議をした取締役らは、退職慰労金を受給できる退任取締役に対して不法行為責任を負うことになる。

したがって、原告の退職慰労金請求権は、五〇〇万円の限度において発生し、現在二五〇万円が残っていることになる。そして、被告代表取締役らは、被告の業績が悪化していること等を理由として、本件規定を無視して本件支給決議をしたのであるから、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項により、被告は原告に対して、本来支給すべき一九八八万八〇〇〇円から実際に支給決議をした五〇〇万円との差額である一四八八万八〇〇〇円の損害賠償責任を負うことになる。

四  以上によれば、原告の本件請求は理由がある。

(裁判官永野圧彦)

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